海外に対する支援も必要だけれど

最近、色々な場面で、海外に対する支援に触れていますが、

日本国内での、子どもがきちんとご飯も食べられていない というお話もよく耳にします。

子ども食堂 というのを情報番組などでも取り上げられていますよね。

家庭でしっかりご飯が食べられない子どもたちに300円で家庭の味を食べてもらうというもの。

夏休みには給食が食べられないので、家にいる子どもたちはどんどん痩せていくのだとか。

多くは、母子家庭のお子さんに見られるとのこと。

母子家庭のお母さんは、自分が働かなきゃ生活出来ないし、でも、小さい子どもがいて企業ではなかなかそういった方を正社員採用はしづらいとか。

将来子どもをいい学校に行かせたいと貯金をすると、生活保護などの支援金はもらえず、

高校生までの子どもがアルバイトをしても、家庭の収入とみなされて支援金はもらえず。
だから、バイトができる子どもたちに、バイトをさせないお家もあるんですって。

どうやったら、その生活から抜けられるんでしょう。。。

最低限の生活って、親が必死に働いて、子どもは家でご飯も食べずに待っている状態。のままで、子どもはそれが生活だと記憶して、将来お父さんになったり、お母さんになっていくのでしょうか。。。

お金のことは、行政に任せるとしても、お母さんの心のゆとり、愛情とか、子どもの未来を考えるとか、ゆっくり子どもと触れ合う時間とか、生活を通して心を豊かにすることとか、

そういう心の部分は、どうして行くべきか、最近頭の中で巡っています。

ふと、見えてきたこともあるし、そういう子どもたちに触れている教員や職員の方にも繋がってきていますが、もう少し時間がかかりそうです。

豊かな国、日本に生まれてきて、飢えを我慢している子どもたちがいる。。
私たちがまだまだしなければいけないことがたくさんあると感じています。

image

http://affection-m.com

保育園の義務教育化/古市憲寿

「お母さん」には一般の「人間」以上に規律が課せられる。

電車にベビーカーで乗れば白い目で見られる。新幹線や飛行機で子どもが泣くと嫌がられる。仕事を頑張ると「子どもがかわいそう」と言われる。

「電車に乗る」ことも、「仕事をする」ことも、「旅行をする」ことも、多くの人が権利だと意識することもなく、当たり前にしてうることだ。

それなのに「お母さん」になった途端、誰からも文句を言われないストライクゾーンが極度に狭まってしまう。

(はじめに より一部抜粋)

こんな本を新幹線のお供に読み始めました。

image

日本には今、少子化と労働力不足という社会問題がありながら、社会復帰や待機児童の問題から、子どもを産むことは罰ゲームのようだ。と。

本当ですね(^_^;)

先日、そのような話をしたら、
「じゃあ今、保育園をやったら儲かるんですね!」
と、話した人がいました。

保育園は、どこにあったら便利?

住宅街もしくは、そこから駅に向かう途中ですよね。
土地代の高いところです(^_^;)

そして、つい最近、子供の声は騒音だからと地域住民が反対して保育園(幼稚園?)が建つのを反対したところもありましたよね。

需要はいっぱいあるのに。

それで、なかなか社会復帰できないでいる女性もたくさんいます。

保育園に入れる優先順位を上げるために、一時的に離婚をする人もいるんですって。
シングルマザーだから、働かなきゃ子どもを育てられないから、という形を作らなきゃ保育園に入れないって。。。

なんだか、何が健全な子育てだかわからなくなりますね。

お母さんになったんだから、子どもと家にいればいい という声も聞こえて来そうですが、
そうやって世の中から隔離されるような状況が、虐待の発見の遅れやネグレクトに繋がるなら、ちゃんと社会が関わる仕組みが必要です。

なので この、保育園の義務教育化 いいと思います☆
同時に、保育園に子どもを預ける時に、お母さんの学ぶ場、話せる場を作ってあげられないかしら。

そこにこそ、メンターが必要ですよね☆

http://affection-m.com

脳を活性化させる

5月4・5・6日の3日間で、PSIプログラム が開講されました。

image

それぞれに、メンター講座を受講されて来た方たちばかりなので、自身の記憶がどのように出来ているかについては、理解されています。

PSIプログラムでは、記憶が出来る仕組みだけでなく、自身でロックを掛けてしまっている無意識を引き出し、整理する(メンターリング)ことで、自身では気づかなかった可能性を引き出すプログラムです。

記憶による思い込み・信じ込みによって出来てしまった、摩擦が生じるこれまでの人間関係は、整理しフラットにすることで全く違うものであったと気づく姿は、

パンパンに張り詰めていたものが、フッとほころんだり、
不都合を感じていた相手は、物凄く大事にされていたからこその関わりだったと気づいて、これまでの思いが感謝に変わったり、
それなりになんでも器用にこなして来た自分は、実はやれば出来ることだけを選択し、本気になって取り組みたいことを避けていたことに気づいたり、

たくさん無意識を認識していくと、ロックを掛けて出来ないと思い込んでいた自分がフラットになっていくので、

より自由にやりたいことを構築していきます。

3日間で、自分にはこんなところがあったのかと、笑顔や希望に満ちた顔は、皆さん一回り大きくなったように見えました。

3日間で、毎日毎日何かを発見するので、頭がパンパンになったり、物凄いスピードで思考したり、フリーズしそうになったり(笑)

新たな仲間ができた 楽しい3日間でした。

今後の皆さんの活躍を楽しみにしています。

http://affection-m.com

池上彰さん イスラムとは

昨日は、ロータリーが主催している講話に参加してきました。

池上彰さんによる 「イスラムとは何か」 というタイトル。

image

非常に興味がありましたが、想像していた内容とは少し違い、

宗教についてや、それにまつわる経済効果など、なるほどと思うこともいくつかありました。

覚え書きを少しシェアしますと、

アラーとは、どなたかのお名前ではなく、唯一絶対の神 という意味で、
ユダヤ教も、イスラム教も、キリスト教も、その考えが同じであることから、同じ神を信仰の対象としていること。

神をアラビア語でアラーと言うので、キリスト教徒でも、アラビア語圏では神をアラーと言うこと。

聖書には創世記(始まり)が書かれている。始まりがあるということは、終わりが来るという考え方があること。

世の終わりが来る。。だから、救世主が現れると思っていて、キリストは処刑3日後に復活したから救世主だと信じる人たちが、キリスト教徒になったこと。

キリストとは、救世主と言う意味で、イエスキリストとは、救世主のイエス と言う意味であること。

ジハードとは、聖なる戦い と言う意味で、それは、正しい努力 や、教えを守る、という意味を含んだものであること。

例えば、
お祈りの時間なのに朝眠い。。眠気に負けずに戦う!とか。

ラマダン月に、お日様が登っているときに食べたくても食べない。とか。

聖地を守る。とか。

その、ジハードで死んだ場合、アラーのそばに行ける(救われる)と言われている。

では、

自爆テロは?

自殺は地獄に行くとされているが、

聖地を守る戦いならジハード。自爆は自殺。

この解釈を、ジハードとして行っている。ということなのだそう。
さて、
イスラム国に行きたがる人がたくさんいるのはなぜか。

それについては、例えばキリスト教圏で、イスラムだからと阻害されたり、いじめられてきた人たちが、
派手なCMをしているイスラム国に、自分の居場所や仲間を求めて集まる。という側面もあるそうで、

そこを解決するには、それぞれの宗教を尊重することや、国のアイデンティティーになっている場合、国をあげて取り組まなければ解決できないことで、簡単ではないこと。

そして、多宗教を受け入れ共存できるのは、日本人にしかできない技であること(クリスマスも楽しみ、死んだらお経をあげてもらうなど)。(笑)
どれが正しいとか、どれが間違いとかではなく、

宗教は 生き方のモラルを律するもの
とのことでした。

確かにそうですね。
自分と自分の周囲が幸せに暮らせるために(または、来世幸せになるために)、信仰し、自分を律する。ということですものね。

ジハードで死ねばアラーのそばに行ける。
これも、神のそばに行きたい(幸せになりたい)という思いですよね。

自分だけでなく、自分の周囲も幸せになることを願った信仰心であることを、
切に願います。

http://affection-m.com

表には出にくいけれど社会問題

最近、耳にすることがあるお話の一つとして、
年配夫婦の社会からの孤立

というのがあります。

会社を引退し、子育てを卒業し、地域の役割も若い人に回り、親戚の集まりも減り…

自分の居場所が自宅以外になくなって来ている人たちや、これまでの役割がなくなってきている夫婦が、

家の中に二人きりでいることが多く、些細な喧嘩から、家の中にいて孤立して行ったり、これまでに無かった家庭内暴力が始まったり、、、

そんな話を聞くようになりました。

仕事をしていた時のように自分の存在意義を確認する場が、なくなるからでしょうね。

目の前にいる人に暴言を吐いたり、目の前の人が気に入らないと、二人っきりなのに距離が出来ていく。

より、社交的ではない人や、外に趣味や友達がいない人が、家に1人、置き去りになる。。

そういうことが原因のようです。

あんな話ばかり聞かされるのが嫌になった。
いつの間にか家がごちゃごちゃになって行きたくなくなってきた。
行くのがストレス。

そう言って、若い親戚や子供たちも離れようとしているのです。
ちょっと待って。

聞いてくれる人がいない、認めてくれる人がいない。

だから、どんな悪口でも人の気を引きたいし、自分に目を向けて欲しい、聞いてほしいのです。

人が来なくなるから、家も放置気味になるのです。
離れれば離れるほど悪化します。
まだ、老人と言われる年齢ではない人たちの、自宅にいながらの孤立化が、少し増えてきていると感じます。
皆さんのご実家や親戚には、お話を聞いてくれる人がいますか?

気にかけてもらう側を卒業し、気にかけてあげられるようになりましょうね。
こういうお話を聞くと、メンターの役割は、たくさんあると感じます。

一家に一台!ではなく、
家庭に1人、メンターを育成して行きたいと思います。

http://affection-m.com