デザイナーの土方先生

先日、デザイナーの土方先生のところにお邪魔しました。

私の会社のコーポレートイメージを作ってくださった方なのですが、
お伺いする度に、今の私に必要なことを教えてくださいます。

沢山本を読まれる方で、オフィスの書棚に並んでいる本には付箋がキッチリ。

話題の本から社会問題に関すること、様々ですが、
わからないことは私にでも聞いてくださる、何でも吸収する方で、本当にいつもいつも勉強になります。

「デザインは、断定的なものより、遊びがある方がいい。」
どういうことかお聞きすると、

遊びとは、遊び心のことでなく、車のブレーキなどでも使われる あそび の事なのですが、
相手に 思う 余地のない断定的なものより、相手がそこから連想するストーリーがあることが大切なのだそう。
ストーリーは、見る側から出てくるものなので、本人の持っている情報です。
それが、共有することに繋がる というお話でした。

それは、言葉にも言えることで、投げかけた言葉に あそび があるから、相手が何かを連想する、そこに、相手の思いを見つけることができます。
たくさんお話しした中で、そこにひっかかった私は、最近 あそび が足りてなかったかも。。と、思わされました。

デザインのこと、というよりは、そんな日常で感じるようなふとしたことが見つけられるかもしれません。

興味のある方は、ぜひ、土方先生の本を読んでみてください(^^)

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心臓外科医 天野先生

先日の続きです。

ロータリーの地区大会で、興味を持ったことのもう一つは、

心臓外科医の 天野 篤さんのお話でした。

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この方は、天皇陛下の心臓のバイパス手術をされた方で有名ですが、

様々なお話の中で、
「患者さんの家の玄関から、病院の入り口までが病院の玄関だ」
とお話しされていたことです。

患者さんが病院に電話をした時点で、病状を把握したのだから責任は病院にある。
病院の受付をしたらではなく、患者さんが家の玄関を出たらもうこちらに責任があるのだ。

という内容でした。

私どもも、全国各地から人を集めてフォーラムやカンファレンスなどを行いますが、財団の理事長も常々同じことを話していました。

皆が家の玄関を出て、また家に帰るまでがこちらの責任だ。

と。
運営本部では、懇親会や打ち上げで終わりではないのです。
何事もなく皆さんが自宅に帰り着くまで責任がある。
ずっとそのように言われてきましたので、どこで開催されようと、青森の端っこから、九州の端っこまで、皆さんからの

「無事に帰りましたよ~。お世話になりました~」の言葉で、やっと肩の荷が下りるのです。

ですから尚更、
天野先生が、自分に関わる患者さんにどれだけ責任を持っているのかを感じました。
それと、歩くことの大切さも話していましたので、ぜひ皆さんにもシェアします☆

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うつ病は1日4000歩。早歩きで5分。で予防できるのだそう。
ガンは1日7000歩。早歩きで15分。
メタボは1日10000歩。早歩きで30分。

足は第二の心臓と言われ、歩くことで得られる体力は、手術を行う上でも必要なものなので、手術前に体力がない人には、ある程度管理して歩くことをさせているそうです。

歩かないとですね~(^_^;)

興味を持ったこと。でした☆

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自分の目で見る

先日、講座の合間に、ロータリーの地区大会というのに参加してきました。

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いつも、財団のフォーラムやカンファレンスなどを企画し運営する側にいて、
今回は参加者という立場で参加することで、これまでとは違う視点で色んなことを見てきました。

そんな中で、興味を持ったことが2つありました。

一つは、
ロータリーの奨学金制度を使って日本に留学している、韓国の女の子のお話です。

戦争が終わり、日本の軍隊がまだ韓国に残されている中、軍人に対して現地では様々な見方があったようです。

敗戦した軍人たちは、すぐに帰国することもできず、飢えている状態。地元の人たちは、手を差し伸べることもし辛い現地で、スピーチをされた子の祖祖母は芋などの食べ物を軍人たちに渡していたそうで、批難されたこともあったそう。

そんな中で、そのお祖祖母様は、人は誰でも愛される存在だ と話し、それをし続けたそうです。

そのことがきっかけで、スピーチをされた子のお父様は、日本を研究するようになり、学者をされていて、小さい頃から日本の話を聞いて育ったそうです。

ですが、自分が大きくなると、学校で習う日本とは、自分が聞いて育ったものとは全く違い、どのように受け止めたらいいかわからなかったのだそう。

ご家族が、自分の目で見て来なさいと、留学を後押ししてくれたのだそう。

自分は日本の素晴らしいところをたくさん知っている。日韓の架け橋になる仕事をしたい。と話されていました。
自分の目で見る。

これは、以前財団のフォーラムで、ゲストスピーカーをお願いした、金美齢さんもお話しされていました。

台湾人は日本に片思いをしています。東日本大震災のとき、多額の支援をさせてもらうことで、やっとその思いを伝えることができた。

という言葉に、国家間の周囲との関係を含めた必要な交渉はあれど、
人が人を思うということは、国境で分けられたり、決めつけたりすることではないのだなと感じました。

報道されているものだけでは、本当のことはわからない。

きちんと人の思いを見ていかなければ、相手のことはわからない。

ということですね。

興味を持ったことのもう一つは、次回☆

人との摩擦はなぜ生じるか

人との摩擦はなぜ生じるか

さて、なぜでしょう。

これまで多くの方の相談を受けてきた中で、2つの要素があると感じています。

一つは、「悪者が存在する」ということ。

そういう方のだいたいのお話は、相手が悪い という内容なのです。

言い方を変えると、自分の都合に合わない ということ。

こうして欲しかったのに、こうだと思ったのに、そういうつもりはなかったのに、まさかそこまでするとは、言ったのに…
などなど、

自分がどう思っていたか、どう伝えたか、の、都合に合わなかった。ということ。

もし、こちらに思い込みがあったとしても、思った通りにならなかったとき、

摩擦が生じない人は、相手の立場になって考えてみます。

すると、こうした方がよかったかな?こうして欲しかったのかも。こう受け取ったのかもしれない。もう少しこうすればよかった。。

と、至らない自分を知り、反省心が湧いてきます。

そう、人との摩擦が生じる人の、二つ目の要素は、「反省心が無い」ということ。

自分の思い通りにならなくて相手を責めていたことに気づいても、

じゃあ私が悪いのね。と、そこにやっぱり悪者を作ってしまうのです。

反省をすることは、自分が悪者だということとイコールではありません。

相手のことを思うのは、思いやりであって、自分が成長するのにとても重要な要素です。

どちらが悪いか、どちらが正しいかで人を裁いても、どうせ…と諦めても、その相手との関係が良くなることはありません。

自分は人とどのような関係を作りたいか、自分で決めて、自分で選ぶことができるのです。

もし、一人ではそれが解決できないようなら、自分の本音を整理し、理解することから始めましょう。

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