昨日は、ロータリーが主催している講話に参加してきました。
池上彰さんによる 「イスラムとは何か」 というタイトル。
非常に興味がありましたが、想像していた内容とは少し違い、
宗教についてや、それにまつわる経済効果など、なるほどと思うこともいくつかありました。
覚え書きを少しシェアしますと、
アラーとは、どなたかのお名前ではなく、唯一絶対の神 という意味で、
ユダヤ教も、イスラム教も、キリスト教も、その考えが同じであることから、同じ神を信仰の対象としていること。
神をアラビア語でアラーと言うので、キリスト教徒でも、アラビア語圏では神をアラーと言うこと。
聖書には創世記(始まり)が書かれている。始まりがあるということは、終わりが来るという考え方があること。
世の終わりが来る。。だから、救世主が現れると思っていて、キリストは処刑3日後に復活したから救世主だと信じる人たちが、キリスト教徒になったこと。
キリストとは、救世主と言う意味で、イエスキリストとは、救世主のイエス と言う意味であること。
ジハードとは、聖なる戦い と言う意味で、それは、正しい努力 や、教えを守る、という意味を含んだものであること。
例えば、
お祈りの時間なのに朝眠い。。眠気に負けずに戦う!とか。
ラマダン月に、お日様が登っているときに食べたくても食べない。とか。
聖地を守る。とか。
その、ジハードで死んだ場合、アラーのそばに行ける(救われる)と言われている。
では、
自爆テロは?
自殺は地獄に行くとされているが、
聖地を守る戦いならジハード。自爆は自殺。
この解釈を、ジハードとして行っている。ということなのだそう。
さて、
イスラム国に行きたがる人がたくさんいるのはなぜか。
それについては、例えばキリスト教圏で、イスラムだからと阻害されたり、いじめられてきた人たちが、
派手なCMをしているイスラム国に、自分の居場所や仲間を求めて集まる。という側面もあるそうで、
そこを解決するには、それぞれの宗教を尊重することや、国のアイデンティティーになっている場合、国をあげて取り組まなければ解決できないことで、簡単ではないこと。
そして、多宗教を受け入れ共存できるのは、日本人にしかできない技であること(クリスマスも楽しみ、死んだらお経をあげてもらうなど)。(笑)
どれが正しいとか、どれが間違いとかではなく、
宗教は 生き方のモラルを律するもの
とのことでした。
確かにそうですね。
自分と自分の周囲が幸せに暮らせるために(または、来世幸せになるために)、信仰し、自分を律する。ということですものね。
ジハードで死ねばアラーのそばに行ける。
これも、神のそばに行きたい(幸せになりたい)という思いですよね。
自分だけでなく、自分の周囲も幸せになることを願った信仰心であることを、
切に願います。
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